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アニメや漫画についての記事はネタバレを含むことがあります

アートの公共性に関するメモ

駅前を歩いていたら細くて薄暗い道に絵画が飾られていた。

その辺りは落書きの被害が多いので、作品を公募しギャラリーを作ることで再発を防いでいるらしい。

確かに面白い企画だし、掲げられた「作品」を壊してまで落書きをしようというならず者はなかなか現れないだろう。

そうしてならず者はどこに行ったのか。

 

平田オリザの『芸術立国論』を読んでいたら面白い話を見つけた(集英社新書、46頁。もう20年前の本だが)。

地方都市の郊外に建つ立派な公立ホールに、深夜に出かけてみるといい、ホールの周りの壁際で熱心にストリートダンスの練習をする若者たちの姿を見ることができるはずだ。(中略)

 公立ホールは、本来、地域の住民が演劇やダンスの創作に参加する場として作られたのではなかったのか?(中略)建物の中の行政官たちは、彼らを受け入れないままに施設利用稼働率の低さを嘆いている。いや、それどころか、ストリートダンスを芸術とは認めずに、どうにかして会館の周辺から彼らを閉め出そうとする職員さえいる。

 

落書きは犯罪だし、僕は表現の自由云々の話をしたい訳ではない。

あまりきれい事でもない。アートの壁で閉め出されたならず者たちがどこかでそのまま5年10年と鬱憤を溜めていったらどうなるか、なんとなく想像できる。

かなり難しいだろうが「落書き犯をとっ捕まえて作品を描かせ、ギャラリーの一部にする」という試みができれば最高に面白いと思った。

公募で選ばれた作品もなかなかよかった。

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最近聴いてたやつ そのに

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 春が来た。相変わらずYouTubeで音楽を摂取している。

 

1. Bach - Cantata Auf, schmetternde Töne BWV 207a - Van Veldhoven | Netherlands Bach Society [Netherlands Bach Society]

 かっこいい古楽

 

2. Marche pour la cérémonie des Turcs [Le Concert des Nations - Topic]

 フランス・バロックは、ドスのきいたタイコの音がまた印象的。優雅なだけではないルイ王室の威厳。

 

3. Haydn - Keyboard Concerto in D major - Australian Haydn Ensemble / Erin Helyard [ABC Classic]

 清々しい古楽

 

4. Beethoven: Wellington's Victory or the Battle Symphony, Op. 91 [Berlin Philharmonic Orchestra - Topic]

 通称、戦争交響曲。曲が盛り上がると、銃声と砲声が飛び交う。昔の貴族は戦争をどこかゲームのように見ていたと聞くが、まさにそんな感じだ。ベートーヴェンもこんな、アホみたいないい曲を書いていたのだ。

 

5. Clapping Music [Steve Reich - Topic]

 2パートで同じリズムを叩き、片方が音符ひとつ分ずつズレていく、という曲。音大生が飲み会の〆にやろうとするが難しくてグダグダになって終わるらしい。

 

6. Pavane de Spaigne à 4 [Ricercar Consort - Topic]

 優雅な古楽

 

7. Gustavo Dudamel, Wiener Philharmoniker - Nechledil March [ViennaPhilVEVO]

 黄金のホール、狭い演奏席、コントラバスを管楽器の後ろに並べる配置、親密なアンサンブルとサウンド、団員たちの慣れた表情、まさにウィーン・フィルという感じの映像だ。

 

8. Stefan Schulz plays Schumann (Adagio & Allegro) [dflatmajor]

 ベルリン・フィルバストロ奏者のソロ。CD用に綺麗にマスタリングされた録音より、こういう会場の空気や奏者の息づかいが感じ取れる映像が好きだ。

 

9. Dschinghis Khan [Dschinghis Khan - Topic]

 懐かしいと思って聴いていたが、僕が生まれる10年以上前の曲らしい。

 

10. Moskau (Long Version) [Dschinghis Khan - Topic]

 同じくジンギスカンの、昔なぜかネットで空耳が流行っていた曲。

 

11. ウルフルズ - バカサバイバー [ウルフルズ]

 バイトで失敗して落ち込んだとき友達に「元気が出る曲おしえて」と言ったら教えてもらえた曲。

 

12. ORANGE RANGE - SUSHI食べたい feat.ソイソース [ORANGE RANGE]

 AC部の秀逸なMVに彩られた名曲。

 

13. 【みきとP/ mikitoP】いーあるふぁんくらぶ【GUMI・鏡音リン】12funclub/GUMI・Rin Kagamine [みきとP /mikitoP Official Channel]

 数少ない好きなボカロ曲。

 

14. 45回転シングル盤 若い力 [kuwahojo2]

 中学の体育祭で歌ってた(吹奏楽部なので伴奏してた)曲。第二回国体(1947年!)に際して作られたらしい。バイトがめんどい時に聴いて無理やり元気を出そうとするがあまり効果はない。

よく分からない音楽についてのメモ

 たとえば「現代音楽」と聞いて、どんな音楽を想像するか。

 僕の場合はこんな感じです。

 

クセナキス:10の楽器のための『ST/10, 1-080262』

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 パソコンや排水管のミクロな世界ではこういう音楽が響いているかもしれない。

 

シュトゥックハウゼン:習作Ⅱ

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 小さい頃、眠りながらこんな雰囲気の夢を見ていたような気がしないでもない。

 

 こういう音楽には、どういう音楽的実験あるいは哲学的議論に基づく作品なのかを理解するという面倒くさい楽しみ方と、想像力を働かせて妄想(排水管の世界)をでっち上げながら聴くという楽しみ方がある。モーツァルトと同じノリで聴こうとしてもムダである。

 一方で、

 

シェーンベルク:『月に憑かれたピエロ』より

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 なんという不気味な響き。

 

ストラヴィンスキー:バレエ『春の祭典

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 なんという躍動感。

 

 こういう音楽は、クラシック音楽のありかたを崩壊寸前のギリギリまで拡張したものなので、モーツァルトの延長で聴こうとすると、かえって面白く響く。『ピエロ』は1912年に、『祭典』は1913年に書かれたらしい。まさにヨーロッパ最後の爆発!

ミュージアムの話

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 「博物館」の定義にはUNESCOやICOMによるもの、博物館法の定めるものなど色々あるが、何らかのテーマに基づいて資料を収集し、保管し、展示し、教育事業や調査研究を行う機関である、という認識は凡そ共通している。

 そして、美術館や水族館や動物園も、基本的には博物館の一種とされている。これらは一般に娯楽・文化施設と見られているが、教育機関であり研究機関でもあるという意味では大学に近い存在と言える。

 上野公園には、東京文化会館などの文化施設や観光名所と並び、東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館上野動物園など国内有数の博物館が揃っている。公園内にある東京藝術大学の学生はよく「キャンパスが狭い」と不平をもらしているが、僕はそれを聞くたびに「公園が広大なキャンパスみたいなもんだろうが」と思い羨ましくなってしまう。なお僕の通っていた国立音楽大学のキャンパスは学生の間で「陸の孤島」と揶揄されたりしていた。

 

 話がそれた。博物館の資料には様々なものがある。美術館なら、絵画などの作品のほか、画家が使っていた画材や日用品、スケッチブックに残したメモや私的な手紙も重要な資料として収集される。またそれらのレプリカや、それらを撮影したデータ、画家の生涯や創作についての映像など新たに作り出したものも、博物館において研究・教育を行うために必要な資料とされる。あるテーマに関する情報を持っているモノ(つまり、あらゆるモノ)はすべて博物館資料たり得る。

 そしてあらゆるモノは特有の文脈(コンテクスト)を持っている。僕の使っている洗濯機は、僕の部屋の景色に溶け込んでいて、部屋の蛇口から水をひくことで洗濯をすることができる。もしこれが砂漠の真ん中にあったら、その光景は不自然だし、水がなければ洗濯機として機能することもできない。

 博物館はある意味でこの砂漠のような場所だ。たとえば僕が偉人として後世に名を残したとする。僕が使っていた洗濯機は博物館資料として収集され保管され展示される。もはやこの洗濯機は「家にあって、洗濯をする」という本来の文脈を失う(代わりに「博物館にあって、偉人の情報を後世に伝える」という新たな文脈が与えられる)。

 

 モノをその文脈から切り離し、その情報を記録し、分類し、ケースに並べるといった、博物館において資料を扱うプロセス一つ一つには、必ずその作業を行う職員(博物館の専門職員を学芸員と言う)の意志が表れる。デュシャンという20世紀の美術家は、ただのトイレに「泉」というタイトルと自筆の署名を点け、オブジェとして展覧会に出品した。この「創作」をレディ・メイド(既製品、の意)と言うらしいが、博物館における展示も、意図・目的の違いを除けばほとんど同じ営みと言える。確かに展示は、ある社会の縮図であり、ある画家の集大成であり、宇宙の模型であるが、それは限りなく人為的なもので、誰かの(みんなの)まなざしが色濃く投影されたものとなる。

 

 そう考えると、美術館で見るべきものは3つある。まずはモノ(作品)そのもの。次に、創作のモデルとなった人物や景色、それを描いた画家の生活など、作品の文脈・背景となるもの。そして、数多あるモノの中から何故かその作品を選び、何故かその場所に配置し、適切と思われる照明をあて、調査研究に基づいた解説を付した博物館職員の、あるいは鑑賞しに来た人々の、モノにたいするまなざしである。

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ハーモニーの話

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 卒業してから、苦手だった和声の復習をちょこちょこやっていたのだが、覚えることが多すぎて気が遠くなり、なかなか続かない。そこで、細かい規則は一旦置いて、教本の譜例をひたすら鍵盤で弾いて、フィーリングでなんとなく身に付けていく作戦に切り替えた。

 するとあっという間に最後までいってしまった(弾くだけなので当然だ)。なので、この「なんとなく」作戦で他の和声理論も勉強してみることにした。

 音楽のハーモニーを表すものには、コード進行(コードネーム)、通奏低音、機能和声など色々あるが、日本の音大に通うほとんどの学生が勉強しているのが、俗に芸大和声と呼ばれるものである。この俗称は、東京藝大の音楽学部の授業で用いるために作られた教科書『和声 理論と実習』(1964, 音楽之友社)に由来する。

 この教科書は、大学の集団授業に耐えるものとするため、理詰めが徹底されており、学習は非常に慎重な足取りで進められる。たとえば、コード進行で言うC-G-C(いわゆる、お辞儀の和音)の進行をつくるためにも、「ベースの音をこれにする場合は、他のパートには同じ音を使ってはならず、またこの音は次の和音で半音上行して……」といった細かい規則を一つずつ確認していくことになる。よほどの根気かセンスがなければ独学でマスターすることは難しいだろう。

 だから、最近になってコード進行に関する教本や動画をいくつか覗いてみて、その自由で明快なことに驚いた。そこでは、芸大和声で禁則とされていたことが、全く気にされていなかったりするのだ。そもそも芸大和声は、クラシック音楽、それも古典派(モーツァルトなど、クラシックの中のクラシック)の音楽を分析することを基本に据えているのである(学習を進めていけば、やがてロマン派の複雑な和音にも対応できるようになるのだが、僕はそこまで到達していない)。僕は高校・大学を通して、勉強は面倒くさがってしないくせに、難解な芸大和声だけで音楽を理解しようとしていたのであり、それは大変な遠回りであった。耳になじむポピュラーな音楽で、コード進行を「なんとなく」学び、それから芸大和声に取り組んだ方が、ずっと入りやすかったのではないか。

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 こちらは、前回の記事で取り上げたテレマンのソナタの冒頭を和声分析したもので、楽譜の上に書いた記号がコードネームである。楽譜の間に挟まっている数字は通奏低音の記号で、これはベースパートの音符とセットで数字付き低音と呼び、コードネームに似た情報を示す。楽譜の下のローマ数字が芸大和声、その下のアルファベットが機能和声(ドイツの音大で習う和声らしい)の記号である。

 コードネームと数字付き低音が、楽譜の一部として、主に演奏者・作曲者のために発達していったのに対し、芸大和声や機能和声はたぶん、既存の作品を分析することを出発点にしている。画像下の一段の楽譜は、有名なパッヘルベルのカノンの冒頭を分析したものであるが、芸大和声・機能和声の分析でテレマンソナタと比べてみると、非常に似通った和声進行であることが確認できる。

 

 当たり前だが、音楽理論に最終的な答えはない。以前の記事でも触れたように、中世ヨーロッパでは理論上「ドミソ」が不協和音に分類されていたし、歴史上の偉大な音楽家たちはその時代の禁則を破ることで新たな地平を切り開いてきた。そういう歴史の中で、ジャズやポップスやロックの音楽家たちはコード進行によって、バロック期の音楽家たちは通奏低音によって、教師や学生たちは芸大和声や機能和声によって、音楽を理解し、語り、生み出してきた。それぞれ理論には、彼らの眼差しが投影されている。さあ、ロマンを感じることができたので、もう勉強は十分である。

 

【参考】

通奏低音解説】鍵盤楽器での演奏例【イタリア音楽院古楽科ノート】

https://velvettino.net/basso-continuo-spiegazione/

機能和声理論(Funktionstheorie)の分析記号のまとめ|Ephraem Fukutaro Ikeda(池田福太朗)|note

https://note.com/efi/n/n9504f6178e1d

古楽器

 歴史において盛んに用いられた時期があり、近年まで長らく忘れられていた楽器を、古楽器と言う。近年と言っても、チェンバロなどは再評価が始まってから一世紀くらい経っているし、そのあたりの定義ははっきりしない。ほとんど同じ意味で用いられる言葉にピリオド楽器やオリジナル楽器があるが、これは厳密には、特定の時代の様式で作られた楽器という程度の意味である。たとえば、ピアノは古楽器とは言わないが、「ベートーヴェンの時代のピアノ」はピリオド楽器と呼ばれたりする。そして古楽器ピリオド楽器をまとめた概念として、歴史的楽器という便利な言葉がある。なお、三味線や尺八、伝統芸能で用いられる楽器などは、世間から忘れられてしまった感があったとしても、現代まで使用が途絶えていたわけではないので、古楽器とは言わない。

 西洋音楽古楽器として有名なものには、チェンバロ、リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバなどのほか、バロック・ヴァイオリン、バロック・トランペット、バロックオーボエなどのバロック期の様式の楽器がある。現代の楽器は高度な工業技術によって、ヴァイオリンでもフルートでもトランペットでも同じように、どんな音でも基本的には同じサウンドで演奏することができるように作られているが、古楽器は全体的に、調によって響きが変わったり、得意技と不得意技がはっきりしていたりと、良くも悪くも強い個性を持っている。

 古楽復興運動が興った20世紀には「作曲家が想定した楽器・奏法を再現するべき」という人々と「現代の聴衆には現代の楽器による演奏を届けるべき」という人々の間で論争もあったが、現在では多様な選択肢が認められている。たとえば日本の地方プロ・オーケストラである山形交響楽団では、表現の幅を広げる取組みとして、部分的に古楽器や古い奏法(ノン・ヴィヴラートなど)によるアプローチを採用している。多様性の時代である。また今回はバロック音楽の動画しか取り上げないが、僕は18世紀オーケストラによるベートーヴェンの演奏が好きだ。

 

ヘンデル:水上の音楽 第二組曲より序曲 (3:55-)

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 バロック期のトランペットには、現代のように音を変えるためのバルブ(キーによって操作するピストンやロータリー)が付いておらず、専ら唇の操作によって音を作っていた。バルブがなく管を曲げただけのトランペットを、ナチュラル・トランペットと言う。その演奏がどれだけ難しく大変なものか、金管楽器を演奏したことのある人なら想像できるだろう。動画で用いられている楽器は、音の微調整のために(これによってドレミが吹けるわけではない)管に穴をあけている。これをバロック・トランペットと言って、ナチュラル・トランペットと区別することもある。

 バロック期のトランペットの音は、現代のトランペットに比べるとゴテゴテしていて図太く、メロディをなめらかに演奏することには向かないが、太鼓のように力強く威厳のある響きを持っている。そのため軍楽隊やオーケストラにおいてティンパニとセットで用いられることが多く、この習慣は伝統としてベートーヴェン交響曲などにも残っている。

 

テレマン:リコーダーと通奏低音のためのソナタ

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 現代日本において教育用の楽器とされているリコーダーだが、バロック期においてはヴァイオリンに並ぶ花形楽器であった。

 伴奏を担当するチェンバロの楽譜には、ベースラインと、コードネームのような簡単な数字(記号)だけが記されており、奏者は左手でベースラインを弾きつつ、即興で右手のハーモニーを添える。これを通奏低音と言う。チェンバロはピアノのように音の大きさを変えられないので、音の数(ドミソ~と弾くか、ドミソドミソ~と弾くか)や、和音の分散(豪華なところではジャーンといっぺんに、繊細なところではド~ミ~ソ~と分けて和音を鳴らす)によってニュアンスをつけていく。その他にも、合いの手を入れたり、ソロのメロディと対になるメロディを加えたりして、いかに気の利いた伴奏をできるかがチェンバロ奏者の腕の見せ所となる。

 

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第六番

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 ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(肩のチェロ、の意)という小型のチェロ。めっちゃ肩こりそう。

耳をすませば - 猫の恩返し

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https://www.ghibli.jp/works/mimi/

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https://www.ghibli.jp/works/baron/

booklive.jp

booklive.jp

 ジブリ映画として有名だが、どちらも原作は柊あおいの漫画である。

 『耳をすませば』は、少女漫画雑誌『りぼん』で連載され、4回で打ち切りになった。が、たまたま『りぼん』を読んだ宮崎駿が話題にしたことがきっかけで、いつのまにか映画になることになったらしい。その後、宮崎駿のリクエストに応じて書き下ろされた『バロン 猫の男爵』を原作とし製作された映画が『猫の恩返し』という訳である。

 映画『耳すま』は、図書館の貸出カードがバーコードに取って代わられるところだったり、お母さんが大学院生でゴツいワープロを使っていたり、背の低い団地に住んでいたり、なんとなく時代を感じるシーンが多い。あと合奏のシーン、いいよね。天沢君のおじいさんの弾いている楽器は、ガンバといいます。原作は、主人公の心理や目に見ている景色を、少しずつ丁寧に書いていこうという気持ちが伝わってくるような作品で、打ち切りになっていることを残念に思う。

 『バロン』『恩返し』は、初めから映画化を念頭に作られており、全体的にイキイキして起承転結のはっきりした活劇になっている。映画版も75分と短く、飽きずに観られる。猫が二本足で歩いて喋っているだけでもう面白いのに、爵位があったり連隊を組んで前へ進めなどやっていたりするから、なお面白い。